
2025年の関西エリアは大阪・関西万博で盛り上がりました。でも、滋賀にはもう一つ大きなプロジェクトがありました。それが、44年ぶりに滋賀県で開催された「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」です。国スポでは開催県としては4大会ぶり、そして滋賀県として44年前の「びわこ国体」以来の総合優勝!障スポでは過去最高のメダル数を獲得し、熱気のこもった大会になりました。
感動的なフィナーレを迎えた国スポ・障スポは、私たちに何を残したのでしょうか。
滋賀プラスワン、レガシーインタビュー。後半の今回は、国スポ・障スポ編です。お話を伺ったのは、滋賀県国スポ・障スポ大会局の辻局長。国スポ・障スポに準備の段階から長年関わってこられた方でもあります。
辻さんと一緒に、2025年の「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」を振り返っていきましょう!
改めて「国スポ・障スポ」とは、どんな大会だったのか

――まず改めてですが、「国スポ・障スポ」とは、どういう大会だったのでしょうか?
「国スポ」というのは、正式には「国民スポーツ大会」。以前は「国民体育大会」、通称「国体」と呼ばれていましたが、2024年から名称が変わりました。毎年、都道府県の持ち回り方式で開催される、国内最大のスポーツの祭典です。滋賀県での開催は、1981年の「びわこ国体」以来、44年ぶりだったんです。
そして「障スポ」は「全国障害者スポーツ大会」のこと。国スポ終了後、同じ都道府県で開催される、国内最大の障害者スポーツの祭典です。障害のある選手が競技を通じてスポーツの楽しさを体験するとともに、国民の障害に対する理解を深め、障害のある方の社会参加の推進に寄与することを目的としています。
私はこの仕事を7年くらいやっているんですが、よく44年前の「びわこ国体」の話を聞くんです。皆さん、開会式の式典に出た、学校で応援に行ったという思い出を、もうキラキラした目で語られる。
そういう姿を見てきて、我々が今回目指したのは、県民の皆さんの人生の中で、心に残る思い出になるような大会にするということでした。
――「競技大会」というよりも、「関わる人すべての大会」として設計されたんですね。
そうなんです。選手や監督だけでなく、観客も、ボランティアも、学生も。「湖国の感動 未来へつなぐ」をスローガンに掲げて「する」「みる」「支える」すべての人が主役となる大会を目指して準備を進めてきました。
過去の大会を見ても、これだけ多くの人が関わってくださった大会は珍しいと思います。全く知らない方々が集まってきて、一つの目標に向かって、それぞれの持っているものを出し合って大会を作り上げていく。我々も感動しましたし、関わっていただいた皆さんも満足感にあふれていたんじゃないかと思います。


「私が輝く」大会が、「みんなが輝く」大会になった
――今大会の名称「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」というのは、なかなかインパクトのある名称でした。
そうなんですよ。「私が」というのは一人称ですが、大会が近づくにつれて、この「私」が、私だけではなく、「あなた」に広がり、みんなに広がっていきました。最終的には「私が、あなたが、みんなが輝く」大会になったと思っています。

――開会式・閉会式はとても感動的なパフォーマンスでした。
開会式・閉会式では2つのテーマを持っていました。一つは会場のみんなで選手にエールを送ろうと。もう一つは、開会式で選手団が入場してくるところと、閉会式で退場されるところに全力で取り組もうと。精一杯、来られた方を歓迎の心でお迎えして、大会終わった後はありがとうという感謝の気持ちを込めて送り出す。そういう滋賀のやさしさを表現する演出を考えていました。


大会が終わって振り返ると、各会場で、選手も監督も、観客も、大会を支えたボランティアや高校生・大学生も、それぞれが笑顔で輝いていた。選手を主役にしながら、みんなが輝いた式典になったんじゃないかと思っています。


――障スポの閉会式で虹がかかった瞬間は、象徴的でしたね。

あれはね、やっぱりすごかった。なんかご褒美みたいな感じでした。会場を琵琶湖に仕立てて、みんなで虹を表現しようというテーマを持っていたんです。滋賀県は琵琶湖があるから虹がよくかかる。それもテーマの一つだったので、最後、虹がかかったときは、もう鳥肌が立ちましたね。スローガンの「私が輝く」が、本当に「みんなが輝く」に変わった瞬間だったんじゃないかと思います。
西川貴教さんの「滋賀愛」が、大会を力強く後押し

――PR大使である西川貴教さんの存在も大きかったですね。
国スポと障スポの開・閉会式は事前申込とさせていただきましたが、多くの方にお申し込みいただき、おかげさまでほとんどの式典で定員を上回る応募がありました。他県では、国スポ総合開会式以外はなかなか埋まらないそうですが、ほぼ満席となったのは西川さんのお力だと思っています。
実は、式典で西川さんに歌ってもらうのは、最初は難しいかなという話もあったんです。プロのミュージシャンですから、バックバンドの方や音響など、色々なハードルを乗り越えて初めて歌っていただける。
西川さんにPR大使として選手の皆さんにエールを送ってもらいたいという熱い思いが通じて、なんとか実現に至りました。
――西川さんの存在は、SNSでも話題になっていましたね。開会式の動画は70万回、彦根の小学校をサプライズ訪問された動画は、なんと200万回以上、再生されてます。
大会の認知度向上には、広報媒体やSNSが非常に重要な役割を果たすと考えていましたので、そこは重要視していました。ただ、一つ難しかったのが、「国体」って言ったら伝わるんですけど、「国スポ」って言ってもなかなか伝わらないことが多かったんですよ。前年の大会から「国体」から「国スポ」へと名前が変わり、2回目の大会なので、認知度の向上には苦労しました。
そういう面でも、西川大使の発信力や、SNSでいろいろ拡散いただいたのは、大会の認知度向上や盛り上がりを伝えるという面で非常に重要でした。国スポ総合閉会式のブルーインパルス展示飛行も多くの方が撮影してSNSに投稿されていましたね。
ただSNSで「バズった」というよりも大会の理念や関係者の想いが多くの方に伝わった結果だと感じています。「選手にエールを送る」「みんなで作り上げる」という大会の在り方に共感してくれた人たちが、自然と発信してくれた。静かな広がりでしたが、届けたい人には届いたんじゃないかと思います。
「滋賀らしいおもてなし」は、どう形になったのか
――私たち、滋賀プラスワンでも、各会場をできるだけ取材に巡ってましたが、会場ごとのおもてなしが、本当に温かい印象でした。
今回、大会を始める前に、県と市町で相談して、「その地域でしか食べられないもの、地域でしか見れないもの、地域でしか買えないものでおもてなししましょう」ということで方向性を合わせました。地域の団体の方々も巻き込んで、素晴らしい振る舞い、おもてなしで選手をはじめ来場者の方に滋賀の魅力を感じていたいただけたのではないかと思います。


他の都道府県の選手団の皆さんからは、「滋賀の大会良かった」という声をよく聞きました。何が良かったのかと聞くと、「優しい」「柔らかい」雰囲気があったと。それは開会式の演出もそうですし、各競技会場でのスタッフの対応も、滋賀県の県民性というか、おもてなしの精神がベースにあるからだと思います。


――国スポの開会式当日には、彦根駅前で歩行者天国(彦根駅前おもてなしストリート)も開催されていました。とても賑わっていましたね。
今回、大会の取組の柱の一つとして「環境に配慮し実践する大会」ということを目指してましたので、彦根駅から開会式の会場「平和堂HATOスタジアム」まで歩いてもらいたかったんですね。多くの方が来場されますので、安全な動線を確保するという目的もありましたが、大会の盛り上がりや開会式のワクワク感を多くの方に感じていただけるように歩行者天国イベントを企画しました。


実際、開会式はチケットがある人しか入れませんでしたので、おもてなしストリートだけ来られた方もおられたのではないでしょうか。約9,000人の方が来場され、多くの方に楽しんでいただけて良かったです。
コロナ禍を経てたどり着いた「総合優勝」という結果
――そして、大会では滋賀県チームが総合優勝。この結果については、どう捉えておられますか?
はい、開催県としては4大会ぶりの総合優勝でした。去年までの大会は、東京都の3連覇でした。勝敗が全てではありませんが、やるからには優勝を目指して選手の強化に取り組みました。
ただ、一番大きかったのが、コロナによる1年延期の問題ですね。もともと滋賀県は、2024年に国スポが開催される予定でしたが、コロナによる影響があり1年延期で2025年になりました。それが大会準備だけでなく、出場選手にも大きな影響を与えました。
国スポは、成年種別と少年種別、2つの種別があります。少年種別は、基本は高校3年生までしか出場できませんので、2024年に高校3年生になる世代を重点的に強化してきていました。1年延期になると、その子たちが2025年には高校を卒業し、少年種別で出場できなくなります。もちろん成年として出場できますが、成年の中で戦うのはまた別の難しさがあります。地元開催での国スポを目指して努力してきた選手はもちろん、親御さんにも大変辛い思いをさせ、県としても苦渋の延期受け入れでした。


――それでも、滋賀県選手団が総合優勝を達成されました。
去年の佐賀大会で8位入賞という、開催前年では異例の好成績を残したことに、選手強化の手応えを感じていました。冬季競技でも、北海道や東北の強豪チームがトップ集団にいる中で、7位入賞という優秀な成績を収め、最後のスキー競技のリレーで優勝したことには感動しました。
最大のライバルは東京都でした。冬季競技が終わった段階では、東京都が5位で、滋賀県が7位。ただ、東京都は水泳がとても強いので水泳競技で大きく差がつくのではと思いましたが、水泳競技などが開催された会期前競技終了時点でも東京が6位、滋賀県は9位。思ったより離されてなく、この調子で最終日までに逆転してほしいと願っていました。
我々の願いが届き、会期半ばで滋賀県が1位に躍り出て、最終日に東京都がすごい勢いで追い上げてきてて、ちょっとヒヤヒヤしてたんですが、なんとか逃げ切り、総合優勝を果たすことができました。
――開催県としての総合優勝。この選手たちが、また次のステージにつながっていくのも楽しみですね。
今回の大会で、滋賀県を代表して出場いただいた選手は競技力の高い選手もたくさんいます。大会後も、滋賀のスポーツ振興や、ジュニアの育成などにご協力いただきたいと考えています。
――国スポからの良い流れで、障スポでも素晴らしい結果が残せましたね。
はい。国スポに続いて開催された障スポには、滋賀県から約290人の選手が出場し、金メダル87個、銀メダル53個、銅メダル34個、合計174個ものメダルを獲得してくれました。これは、過去最多となった前大会の47個を大きく上回る大活躍です。
地元開催だからこそ実現できた、過去最多の記録更新ですね。選手の皆さんの頑張りと県民の応援が一つになった結果だと思います。
国スポ・障スポが滋賀に残したレガシー
――では、この大会が滋賀県に残したものについてお聞かせください。まず、施設面でのレガシーは?
まずは、大会のために新たにスポーツ施設を作らせていただきました。県民の皆さんからお預かりしている税金を使って作らせていただいたものですので、これを県民のスポーツの振興や健康づくりに活用していきたいと考えています。
中でも、県立施設である彦根市の「平和堂HATOスタジアム」(彦根総合スポーツ公園)、大津市の「滋賀ダイハツアリーナ」、草津市の施設である「インフロニア草津アクアティクスセンター」などの各施設には、ジムも併設しています。マシンも最新のものが入っていますので、ぜひ県民の皆さんにご活用いただきたいですね。

そして、「平和堂HATOスタジアム」は、彦根駅から近く、お城も見えるロケーションであり、選手の皆さんからも非常に走りやすいと好評でした。2026年には高校総体(インターハイ)の陸上競技会場となります。大規模な大会は多くの選手や観覧者が訪れることになりますから、地元経済にも良い波及効果をもたらしますし、滋賀県のスポーツ振興にも繋がると期待しています。
――前回のびわこ国体の後、ホッケーが米原に根付いたように、今回も競技が根付いていく可能性がありますか?

はい。例えば竜王町で開催されたスポーツクライミングは、DJも入って会場が盛り上がる競技で、競技会当日も大勢の観客でにぎわっていました。町では新たな施設を整備し、子どもたちの競技体験もやっています。竜王町から世界に羽ばたく選手が出てくるんじゃないかと楽しみにしています。
長浜市のツインアリーナでは柔道。オリンピックで活躍するような選手たちが、大会前から滋賀の柔道を盛り上げるために来てくださって、子どもたちとの柔道教室や強化練習などもやっていました。市民の皆さんと一緒になって盛り上がった会場の一つだったのではないでしょうか。

草津には、西日本初の通年で利用できる飛び込み競技用プールを備えた「インフロニア草津アクアティクスセンター」が整備されました。今大会では、大会新記録が昨年の倍ぐらい出ており、高飛び込みパリ五輪銀メダリストの玉井陸斗選手も練習の拠点にされています。運が良ければ、銀メダリストの練習を草津で見られるかもしれません。
――施設や競技以外にも、文化として残っていくものがあるのでは?
そうですね。ボランティアの方々には、開・閉会式や各競技会場で活躍いただきました。参加いただいた皆さんには大会の運営に近い部分で活躍いただけるよう配置を工夫しました。
ボランティアって、自分の満足度、幸福度を高めるんですよね。私もびわ湖マラソンで私設エイドを作って、ランナーに大変喜ばれたことがありました。ボランティアが活動しやすい環境を行政として作っていくことが大切だなと、今回改めて思いました。
大会では約1万人ものボランティアにご協力いただきました。来場者と交流したり、選手から感謝されたり、「支える」喜びや充実感を味わっていただいたのではないかと思います。初めてボランティア活動に参加したという方も多くおられましたが、今後もいろんなボランティアを体験してみたいというお声もいただいています。
この大会をきかっけにボランティア活動が盛んになり滋賀の文化として根付くことを期待しています。


共生社会の実現ということでは、今までの大会でできてないことをやろうと。障害のある方の中には、外部からの刺激や環境の変化により興奮したりパニックになってしまわれることがあるので、そういう方々が気持ちをちょっと休めていただけるような、カームダウンスペースを設けました。国スポ・障スポ開・閉会式会場と障スポの全競技会場に設置し、誰もが安心して来場できるよう取り組みました。
ある県の監督の方から、「これあってよかった。選手もちょっとそういう場面があったんで、何回か利用させてもらった」という声を聞いて、ああ、やってよかったなと思いましたね。
こういった取組やノウハウを次の青森にも引き継いでいって、国スポ・障スポのレガシーにしていきたいと考えています。福祉の滋賀だからこそできた取り組みではないでしょうか。


琵琶湖をお預かりしている県として、環境配慮にも力を入れて取り組みました。その一環として、来場者の方にマイボトルを持参してほしいと呼びかけを行い、会場にはウォーターサーバーを設置しました。
事前に周知をしていたことやウォーターサーバーを複数設置していましたので、来場者からのご不満の声もあまりなかったですね。
ボランティア文化、共生社会への取り組み、環境配慮。これら地道な取り組みは、確実に続いていくものとして、今後も滋賀県に残っていくと信じています。
滋賀らしい大会が残したもの
――改めて、今回の大会は滋賀県らしい大会になったと言えるでしょうか。
はい、滋賀県らしい大会になったと思います。他の都道府県の選手団の皆さんからも「滋賀の大会良かった」「優しい柔らかい雰囲気があった」と言っていただけました。
44年前の「びわこ国体」のように、今回の国スポ・障スポに関わった皆さんが、これから何十年たった後も、キラキラした目で思い出として語ってくれるような、そんな大会になったんじゃないかと思っています。

新しい施設、育まれたボランティア文化、選手育成の仕組み、共生社会や環境配慮への取り組み。これらすべてが、滋賀県の未来に繋がるレガシーになっていくはずです。
国スポ・障スポは終わりましたが、ここからが本当のスタート。滋賀県が新たなスポーツ文化を醸成し、次世代のアスリートを育成していく。そんな未来が、もう始まっているのです。







