
お葬式で、AIが再現した故人と会話できる――ついにそんな時代が訪れています。大切な人を失った寂しさを和らげる画期的なサービスですが、どこかぎこちなく感じ、モヤモヤしてしまうのは私だけでしょうか。
一方で、病気や怪我で変わってしまった故人の顔を、元気だったころのようにメイクで整える「エンディングメイク」という仕事があります。これには多くの人が感謝し、温かい気持ちになるそう。どちらも「亡くなった人の姿を再現する」ことなのに、なぜこんなにも感じ方が違うのでしょう…。
「生きる」とは?「死ぬ」とは?
普段あまり口にしないけれど、誰もが心のどこかで考えているはず。そんな「死と生」に行政が正面から向き合う、前代未聞の取組を滋賀県が始めています。
死に向き合う専門家たちの言葉

その取組の名前は「死生懇話会」。2020年から始まり、県庁内での勉強会や、ゲストを招いたトークイベント、命に関わる仕事をする人へのインタビューなど、決まった枠にとらわれず「死」と「生」を考える活動が行われてきました。
こちらは、県内で「看取り士」をされている西河美智子さんへのインタビュー。「看取り士」は、死期が近い方の残りの時間に寄り添い、臨終に立ち会う仕事です。
「逝かれる方はものすごく淋しいんです。誰かが側にいてくれるっていうことで、本当に安心をされます。人は生きている間にいろんな体験をする。その素晴らしい体験が最後、死に向かっていった時に、それが敗北であってはならないと思うんです。その人が人生をこんなに輝いて生きた、なんて素晴らしい人生だったんだろうって喜べる、そういう死にしていきたい」
と話す西河さん。一見、悲しくつらいものに思える最期の瞬間について考えておくことは、安心して生きるための支えになるのかもしれません。
「事故、孤独死等で警察から『お顔は見ない方がいい』と言われ、死を受け入れられないご家族もおられます。そういう方にはできるだけ元のお顔に近づける特殊メイクを行います。特殊な綿を詰めてふっくらさせ、微笑みの表情を復元すると『あ、じいちゃんに戻った』と、そこで初めて感情が沸き上がり、涙することで死を受け入れることができるようになります。本来『死を受け入れて涙を流すこと』は、とても大切な過程です」
と話すのは、復顔修復納棺師で、エンディングメイクMARIA代表の太田円香さん。最期にもう一度、大切な人の穏やかな表情をつくることが、別れの悲しみを和らげる優しい手助けになっています。

県内、県外を問わず誰でも参加できる講演会なども開催されています。
「ゼミのテーマが安楽死のとき、『そんなに生きるのが苦しい人がいるのなら、安楽死という道も開いてあげたら』という学生がいました。そこで私が、『生きていても仕方ないと思うぐらいしんどいのはなぜか』という問いを投げかけたところ、『そのしんどさを生み出しているのは社会ではないのか』という意見が出ました。懇話会という形にして、それを県がやること自体に意味があると思います」
関西学院大学教授の藤井美和さんのこの言葉に、行政が「死」や「生」を考える意味や必要性のようなものが詰まっているのではないでしょうか。
「死」を語ることが、「生きる」を考えることにつながる
とはいえ、行政が主体となって人の「死」や「生」にフォーカスした取組を行うのはめずらしく、かなり思い切ったこと。死生懇話会を始めたきっかけや思いについて、滋賀県 企画調整課の森陽子さんと山田遼さんにお話を伺いました。

「きっかけは、三日月知事の『死について考える場をつくりたい』という言葉でした。最初、『行政がこういうことに立ち入るべきではない』と議会などから反対の意見も出ましたが、実際にイベントを行ってみると、むしろ『行政が主催だから安心して参加できる』『これからも考え続けたいと思います』など前向きな感想がたくさん寄せられました」

県としてこのような取組を行った例は他になく、新聞社やジャーナリストからたくさんの取材依頼があったそう。オンラインの聴講には200人以上の申し込みが集まりました。
最初は「死」について考える取組でしたが、回を重ねるうちに「生きることをどう考えるか」という方向に広がっていきました。

「僕が聞いていてすごく腑に落ちたのは、死生懇話会委員を務めていただいている藤井美和さん(関西学院大学人間福祉学部 教授)の『ありのまま』と『その人らしさ』は違うというお話です。例えばものすごく記憶力がいい人が年をとって物忘れをするようになったら、周りが思う『その人らしさ』は失われてしまう。じゃあ自分らしさを失ったその人は、もうダメなのか?そうじゃない。ありのまま=在るだけでOK、という考え方が、生きづらいと言われる今の世の中には必要なんじゃないかと感じました」
死生懇話会の鉄則は「まとめない、まとめようとしない」こと。否定や押し付けることはせず、「そういう考え方もあるんだ」と知ることや、生と死について自分なりの考えを見つけたり、整理すること自体を大切にしています。

「生きること、死ぬことについて考え続ける。これをしているかしていないかで、5年、10年後、人々が語る言葉はきっと変わってくる。『死』や『生』といった根底にあるものを共有できている人たちって、ただ一緒に働いたり、同じ地域で暮らしたりしている以上の深いつながりができるんじゃないかと思っています」
確かに、日頃から生きること、死ぬことについて話し合っている自治体と、そうでない自治体とでは作られる施策も変わってきそう。また、私たち自身も考えを交換し合うことで、お互いをより尊重し合えるようになる気がします。
行政が「死と生」を語る意味とは?

死生懇話会についてもっと詳しく知りたい方は、発売されたばかりの書籍「えっ! 死ぬとか生きるとか、知事命令?」を読んでみてください。森さんと山田さんの試行錯誤や気づきなどの5年間の歩みが、ドキュメンタリータッチでつづられています。
2025年3月23日には、「行政が逃げずに考えた『死』、考える意味」をテーマに「第5回死生懇話会」も開催予定。どなたでも参加できる懇話会で、会場でもオンラインでも聴講できます。
技術やテクノロジーの発達で、「死」が見えにくくなっている現代。だからこそ、死を特別なものにせず、誰もが安心して話せる場があることが、これからはもっと大事になるのかもしれません。
「だからこうすべき」と決めつけるのではなく、「こういうことを考えてるんだけど…」と語り合う。そんな時間を共有することが、滋賀県らしさにもつながっている気がします。
5年、10年後、この対話がどんな変化をもたらすのか。行政が「死」を語る場を作ることにどんな価値があるのか――あなたはどう思いますか?記事の最後にあるアンケートでも、ぜひご意見をお聞かせください。
第5回死生懇話会【聴講申込受付中】 ※オンライン参加を含む
開催日時:2025年3月23日(日)15:00~16:45
受付期間:2025年3月17日(月)まで
場所:滋賀県庁 新館7階 大会議室
「えっ! 死ぬとか生きるとか、知事命令?」
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(文・林由佳里/編集・しがトコ編集部)