【学生記者が行く!】では県内の学生に県の取組を取材いただき、若者の目線で伝える学生企画を実施しています。
今回の学生記者
*阿部 瑞希(あべ みずき)*
立命館大学文学部人文学科国際文化学域文化芸術専攻2回生(新3回生)。滋賀県生まれ滋賀県育ち。
明治から昭和初期の近代建築が好きで、今まで巡った建築は600ヶ所以上。中でも滋賀に関係が深いヴォーリズの建築が大好きです。
レトロモダンな魅力!ヴォーリズ建築
歴史ある街、滋賀県 近江八幡。
城下町として発展し、近江商人たちによって栄えたこの街を拠点に活躍した、外国人建築家がいました。
その名も、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
アメリカで生まれ、はるばる日本へとやってきた彼は、生涯をかけて全国各地に数多くの建築を残しました。
レトロでありながら、どこか新しい。魅力たっぷりの彼の建築は、今もなお多くの人を魅了し続けています。
そんなヴォーリズが拠点とし、「世界の中心」と呼んだ近江八幡には、今も多くの建築が残り、人々に愛されています。
2024年はヴォーリズの没後60年、そして来年2025年は、来日120年となります。
彼は一体どんな人物だったのか?
ヴォーリズについて知るため、近江八幡へと向かいました。
ヴォーリズ学園「ハイド記念館」へ
まず訪れたのは、近江八幡にあるヴォーリズ学園内の「ハイド記念館」。
ヴォーリズ学園理事長の藤澤俊樹さんにまず見せていただいたのは、ヴォーリズのトランク。このトランクは船旅の末、近江「八幡(はちまん)」ではなく北九州の「八幡(やはた)」に送られてしまった、いわくつきトランクだそうです。海を渡ったトランク、歴史の重みを感じます。
「VORIES(ヴォーリズ)建築図面展 −窓と光の対話−」
ハイド記念館は、ヴォーリズ夫妻が設立した近江兄弟社幼稚園の元園舎。
ここではヴォーリズ建築の図面展「VORIES 建築図面展 −窓と光の対話−」が開催されています。
■2024年2月15日〜3月17日まで
■10:00〜16:00(月曜休館)
■ハイド記念館インスタグラム→★
展示を企画した、滋賀県立大学の金子尚志教授と学生のみなさんにお話を伺いながら展示を見学しました。
ヴォーリズ建築をより深く味わうためには必見の展示です。
ヴォーリズはなぜ近江八幡に?
ヴォーリズはどんな人物だったのか、ヴォーリズ学園理事長の藤澤俊樹さんにお伺いしました。
藤澤理事長「アメリカでキリスト教の布教活動に興味を持ったヴォーリズは単身来日し、近江八幡の八幡商業学校で英語教師を始めました(八幡商業は約120年前から海外ビジネスを見据えて英語教育に力を入れていたそうです)。
そのため、建築はなんと「独学」。だからこそ、様式にとらわれない建築を数多く残すことができたんだと思います。」
『階段が緩やかだったり、通気性が良かったり、見栄えだけでなく実際に暮らしやすい工夫がありますよね。』
藤澤理事長「また、ヴォーリズは建築と布教活動だけでなく、教育や病院、会社設立など幅広い活動をしていました」
『どうしてそんなに多彩な活動をしていたんですか?』
藤澤理事長「ヴォーリズはキリスト教の考えに基づき、『神の国』簡単に言えば、誰もが健やかに生き生きと暮らせる理想郷のようなまちづくりを近江八幡で目指していたのです。「ハイド記念館」の隣の「教育会館」も町のみんなための施設として映画の上映などを行っていました。」
『お金もかかりそうですが…』
藤澤理事長「理想を語るだけでなく、商売上手な人でもあったと思います。日本での活動支援を得るため、当時最先端だった映像技術(映画)で近江八幡をアメリカに紹介したり、避暑で訪れた軽井沢では各地の社長や華族へ建築の営業。メンソレータム(現・近江兄弟社メンターム)の製造販売権を得て近江兄弟社を設立したのも資金源の一つになりました。」
『ヴォーリズさんもすごいけど、洋風の建築や外国人青年の建てた幼稚園や病院、会社を受け入れて盛り上げた当時の近江八幡の人もすごいですね。』
藤澤理事長「信長ゆかりの文化も残る歴史の深い町ですが、商人の町でもあり、目線が常に外の世界や最先端に向いていたのかも知れません。」
今も残るヴォーリズの住まいと名建築
ヴォーリズ学園の近くに、ヴォーリズ夫妻が晩年を過ごした家が「ヴォーリズ記念館」として残されています(見学は要予約)。
元々は幼稚園で働く保育士さんたちの寮として建てられたもので、リビングにはヴォーリズ直筆の「神の国」の文字、本棚に並ぶ当時の本、ヴォーリズ愛用のオルガンもあります。
奥には、茶道を嗜んだ満喜子夫人のための茶室が。ヴォーリズは満喜子夫人のお茶を飲むのが大好きだったそうです。ヴォーリズグッズも販売されています。
近江八幡を少し散策すると、近江八幡教会の塔が見えてきます。教会横には、ヴォーリズ建築第1号の「アンドリュース記念館」、向かいには「牧師館」があります。近くには玄関や窓の装飾がとても可愛い「旧八幡郵便局」が建っています。
近江八幡市内には素敵なヴォーリズ建築が20ヶ所以上もあり、私もまだ巡りきれていません。日牟禮(ひむれ)八幡宮の鳥居前の明治建築「白雲館」ではヴォーリズ建築の地図を手にいれることができます。
近江八幡 日牟禮ヴィレッジ「クラブハリエ日牟禮館(旧忠田邸)」
日牟禮八幡宮の前にある、クラブハリエ日牟禮館にやってきました。ここはヴォーリズによって昭和11年に建てられた旧忠田邸で現在はカフェの特別室となっています。(前日までの予約と、一人500円の利用料金で90分間利用できます。)
大きな窓や、丸みを帯びたデザインはヴォーリズ建築の特徴。
暖炉のあるハリエリビング、落ち着いた雰囲気のライブラリー、2階には和室もあります。洋館でありながら、日本の暮らしや文化へのリスペクトを忘れないヴォーリズの姿勢が見えてきます。
カフェのシェフドパルティである唐崎叶実さんと、たねや・クラブハリエ広報室リーダーの高曽津弥さんにお話を伺いました。
ヴォーリズとバームクーヘンの深い関係
「ヴォーリズさんと出会っていなければ、クラブハリエのバームクーヘンは存在しなかったかもしれません。」
高曽さんが驚きのエピソードを教えてくださいました。
菓子屋としての「たねや」は明治5年創業。今も洋館が残る池田町にありました。そして「たねや」の近くにあったのが、ヴォーリズ夫妻の邸宅です。
ヴォーリズとヴォーリズの妻・満喜子夫人、「たねや」の山本さん一家は家族のように仲が良く、夫妻から洋菓子やパンの作り方を教わっていました。
ある時、満喜子夫人から「これからは洋菓子の時代」と言われたことがきっかけとなり、和菓子屋だった「たねや」は洋菓子を作り始めました。
ヴォーリズとの出会いが、現在のクラブハリエ、そして大人気商品であるバームクーヘンの誕生にもつながっていたとは驚きです!
唐崎さん「私は大阪出身ですが、ヴォーリズさんと同じく今では近江八幡が大好きで、この空間で働けることが嬉しいし、毎日楽しいです! お客様にも町や建物の良さを知ってもらい、ゆっくり過ごしていただきたいです。」
最後に日牟禮館 特別室のおすすめポイントを伺いました。
高曽さん「実はお手洗いのタイルや手洗い台、ドアは当時のまま!手に馴染むドアノブはヴォーリズさんこだわりの品と聞いています。」
唐崎さん「近くの八幡堀は桜の季節に賑わいますが、ちょっと後の5月になると庭の藤棚がすごく綺麗ですよ。」
レトロ建築好きの方や、推しグッズの撮影、晴れ着やドレスでお茶会などにも人気だとか。幅広い世代にヴォーリズ建築の魅力が伝われば良いですね!
取材を終えて
ヴォーリズの熱い信念だけでなく、彼を取り巻く近江八幡の人々についても知ることができました。そして、その想いを受け継ぎ、愛し続ける方々と出会えた今回の取材は、忘れられない経験になりました。
現在、ヴォーリズ建築を未来へと繋ぐため、保全や活用など多くの取り組みが行われています。
また、没後60年を記念して様々な催しも行われる予定です。 皆さんも、ヴォーリズさんの想いを辿る旅に出てみませんか?
【2024年】 ヴォーリズ 記念シンポジウム 計画中!
ヴォーリズの精神を探求し、現代社会に活かそうと、滋賀県、近江兄弟社グループ、民間企業などが参加し、2021年から勉強会を開催。ヴォーリズが近江八幡市に第一歩をしるした日である2月2日には、ヴォーリズ勉強会の報告冊子を近江八幡駅で配布したほか、近江兄弟社中学校、高校の生徒、県内市町の図書館で配布しました。
また、2024年のヴォーリズ没後60年と2025年の来日120年に合わせて記念シンポジウムが計画されています。
詳しくは、公式LINEをチェックしてください!https://lin.ee/I7ARrkW
テレビ滋賀プラスワン2/16放送分
「今こそ学ぼう!ヴォーリズの精神」もご覧ください→★
取材者:阿部 瑞希(立命館大学 文学部人文学科 国際文化学域 文化芸術専攻2回生)