
「え、ここが国宝なん?」
映画『国宝』が話題ですが、実は滋賀県は国宝の数が全国5位(※1)。東京や京都、奈良、大阪と並ぶ数を誇ります。
東京や大阪の国宝は、博物館や美術館に収蔵されているものが多い。でも滋賀は違います。奈良や京都と同じように、この土地に古くから根付いた歴史の産物。それだけ滋賀は、古い歴史をもつ地なのです。
しかも、滋賀の国宝にはもう一つ、大きな特徴があります。豪華な美術品がガラスケースに入っている――そんな”特別な場所の特別なもの”ではなく、散歩コースやお参り先、ドライブの途中に、さりげなく存在している。
自然や暮らしの中で、当たり前のようにそこにある。それが滋賀の国宝の大きな特徴です。
※1 建造物のみのランキングでは全国3位
田んぼの向こうに、鎌倉時代
竜王町にある苗村神社の「西本殿」。
住宅地と田畑に囲まれた、地元の神社です。
観光バスが並ぶわけでもなく、売店があるわけでもない。でもこの本殿は、鎌倉時代の姿を今に伝える国宝建築。約600年以上も前の建物が、いまも普通にお参りできる距離にあります。
国宝に指定されている神社建築は、全国でもわずか30数件。苗村神社西本殿は、その中のひとつです。
派手さはありません。
けれど、木組みの美しさや全体のバランスは見事。威圧感がなく、森や空気に溶け込んでいます。


渋い塔の中はまさかの極彩色
甲良町の「西明寺三重塔」も国宝です。
外から見ると、落ち着いた色合いの美しい塔。
普通に外観の写真を撮って帰る人も多いのですが、実は内部には極彩色の世界が広がっています。
文化財の専門家が「これだけ鮮やかな色彩が残っているのは奇跡」と語るほど。何百年もの時を経て、それだけの色が残っているということ自体が、すでに驚きです。
何百年も前の、これだけの高層建築がいまも形を保っているという事実だけでも驚きです。
戦国時代、信長の焼き討ちが行われた際には、僧と農民が協力して坊舎を燃やし、全山が燃えているように見せかけ、守ったという言い伝えがあります。
静かに立っているその姿の裏に、激動の時代を生き抜いた物語があるのです。


拝むだけじゃない、トンネルも国宝
「国宝=お寺や仏像」と思っていませんか?
実は、大津市の琵琶湖疏水の「第一隧道」も国宝です。
それも、トンネル。
明治時代、京都の未来を一本のトンネルに託した大プロジェクト。当時の最先端技術を結集した、煉瓦造りの水の道です。近代の土木構造物が国宝になったのは、日本でこれが初めてのこと。
きらびやかではありません。
でも、人々の暮らしを支え、日本の近代化を後押しした。
しかも今も現役で、水を運び続けています。
“拝む国宝”ではなく、”使われ続けてきた国宝”です。


村の記録が国宝になる
長浜市菅浦集落に伝わる「菅浦文書」も、滋賀らしい国宝です。
これは、鎌倉時代から江戸時代にかけて、村人たちが残した自治や暮らしの記録。土地の境界争い、村のルール、日々の出来事。いわば「昔の村のリアルなノート」です。
これまで国宝の古文書といえば、寺社や公家、大名家に伝わるものがほとんどでした。庶民が自ら作り、地元で守り伝えてきた文書が国宝になったのは、菅浦文書が日本初のこと。
豪華な装飾があるわけではありません。
でも、庶民の声がそのまま残っていること自体が、とても貴重。
“特別な人の宝”ではなく、“みんなの暮らしの宝”。
そんなところにも、滋賀らしさがにじみます。


山の中に、ぽつんと残った国宝
湖南市の岩根山、通称「十二坊」の中腹に、善水寺というお寺があります。
かつて山全体には26もの僧坊が立ち並んでいました。それが信長の兵火で、ほとんどが焼失。でも、この本堂は残りました。
本堂は約660年前、南北朝時代に建てられた天台仏殿です。檜皮葺きの屋根の四隅がゆるやかに反り上がり、山の空気の中に静かに溶け込んでいます。堂内には奈良・平安時代から伝わる仏像が約30体。うち15体が重要文化財という、知る人ぞ知る”仏像の宝庫”です。
長い歴史の中で困難な時代もありましたが、いまは紅葉の名所として多くの人が訪れます。
山の中で守られ続けてきた国宝。 それもまた、滋賀らしい国宝の姿です。


滋賀ではそのままの姿で国宝がある
山のそば。
田んぼの中。
湖のほとり。
気づかないほど身近な場所に、何百年も守られてきた宝ものがある。
それを特別だと思わずに暮らしていること。
もしかすると、それが一番の贅沢なのかもしれません。
次の休日、いつもの道を少しだけ意識してみてください。
あなたのすぐ近くにも、国宝があるかもしれません。
